
抜きん出た決断力と行動力
美しき挑戦者
美しくも危うい魅力
東急目黒線「不動前駅」
駅前商店街を抜け通りに出ると、並木通りが続く坂道に閑静な住宅が立ち並ぶ。
坂道を上り、公園で遊ぶ親子。熟練した職人が集うリフォーム会社の「カフェだけの利用もOK」という看板を横目に、ルナクレスタ不動前STATIONに到着。
扉が開くと同時に、「こんにちは!お待ちしておりましたぁ!」と明るい声で迎えてくれたのが長田涼子さんだった。
店内は、壁一面に貼られた鏡が印象的。
開店前準備をする彼女を鏡ごしに覗く。
美しくも、どこか危うい魅力が漂う。
外見はその人を映す。彼女の魅力は、その生きざまにあった。
ピンポーン♪ チャイムが鳴り、11時予約のお客様が来店。
まだ10時半だ。
「初めてなので早めに来てしまい・・・」というお客様に、「お待ちしておりました」と長田さんは優しい笑顔で迎える。
お客様の足もとに膝をつき寄り添いながらipadでカウンセリングシートを見せ、体調や今までのまつ毛の状態を聞く。
そして、アルカリ剤を使用せず、トリートメントしながら一本一本カ―ルをしていくことなど丁寧に施術の手順を伝える。
目を閉じたままの施術では、事前に手順を伝えることがお客様の安心感につながる。
彼女が施術で大切にしていることは、お客様が希望される目元のイメージに擦り合わせること。
施術中の真剣な眼差しは半端ない。
お客様の少しの動きも見落とすまいと全神経を集中させているようだった。
施術後、鏡を見るお客様。「いかがでしょうか?」と言う彼女の声に「ありがとうございます」と。
素敵に上がったまつ毛を見て、私も思わず「綺麗ですね~」と声をかけてしまったのだが、微笑みながらもう一度「ありがとうございます」とお客様。
撮影にも協力していただき、ありがとうございました!


常に全力投球
愛車はランドクルーザー
午後からは、前回、先輩コンシェルジュが担当したお客様がやって来るという。
前回とても満足されたとのことで、「プレッシャーですぅ・・」と悩ましい表情を浮かべる長田さん。
しかし、良き先輩がいることが大きな刺激と励みになり成長につながることは間違いない。私はいったんSTATIONを離れた。
施術が終わった頃に戻り、どうでしたか?と尋ねると「美容液を2本購入していただけました!」と満面の笑顔を見せた。
普段、決して商品を売りつける素振りを見せない彼女たちが、実はしっかり販売を意識していたことに驚かされる。
お客様が施術に満足し、信頼関係が構築された時、はじめて販売が成立する。購入=満足度。
ほっと肩の荷を下ろす彼女。
二人でお店を後にし、駅に向かった。
来る途中で見かけたお洒落なリフォーム会社に快く撮影許可をもらい、さらに公園でも撮影。
若い頃、ヒップホップ系のストリートフォトに興味があったという彼女の、表情とポーズは何とも魅力的で、シャッターが止まらない!
半年前には、きゃしゃな身体にはそぐわない大型車ランドクルーザーを購入。
「お金を貯めてから買うのでは遅いの。息子と愛犬と一緒に出かける為に、今、必要で、今、欲しかったの!」と。
その行動力に驚かされる。
愛車を見せてほしいと頼むと、センター南駅にある藤岡会長のご実家に用事があるというので、彼女といったん別れ、藤岡家で待ち合わせすることにした。
藤岡会長のご両親とマック(キュートな大型犬で、ルナクレスタのアンバサダーとして活躍中)に迎えてもらった。
程なくして、黒のノースリーブにパンツスタイルの長田さんが大きなランクルに乗ってやって来た!
小柄な彼女と大きなランクル。そのギャップが逆にカッコ良かった。
藤岡会長のご両親が撮影スポットのアテンドを引き受けてくださり、マックも一緒にランクルに乗り込む。
ハンドルを握る長田さんは緊張気味。
どうやら都会での運転は不馴れなようだ。それもそのはず、彼女の出身は北海道なのだった。
撮影を終え、藤岡家で話を聞かせていただくことに。
それにしても、藤岡会長が不在の時に、ご両親とこの関係。
なんて開放された自由な企業なんだろう。。
難病を 乗り越え、美容師へ
そしてファッションの世界へ
北海道紋別市で生まれた。
幼い頃に両親が離婚し母親に引き取られたが、「ネグレクトの母だったのかもしれません。
小学校の時、テーブルに菓子パンを一つ置いて家に残されたこともありました」と長田さん。
女手ひとつで育てることに母親は必至だったかもしれないが、幼い彼女の心は寂しさでいっぱいだった。
そんな彼女に愛情を注いでくれたのが、よく預けられていたと言う母親のお姉さんにあたる叔父叔母。
当時大好きだった人気マンガ、矢沢あいさんの「天使なんかじゃない」の主人公に憧れ、髪型を自分でアレンジし、着る服は必ず自分の希望を通す、ちょっぴりおませなお洒落な子供だった。
中学2年の時、そんな彼女を膠原病と言う難病が襲った。
目が乾く、唾液が出にくい、左手が動きにくいなどの症状が現れた。入院の為、北見市に引っ越し、治療に専念。
その後、日常生活ができるまでに回復し、高校時代はコンビニ、ファストフード店などでアルバイト。
大好きなファッションと美容への興味も加速し、自ら服をリメイクするほどになった。
そして、高校3年になり進路を決める時が来た。
入院時、親身になってくれた看護師さんたちに感謝の念と憧れを抱いていたことから、看護師を目指したいと思った。
しかし、母親に相談すると思わぬ答えが返って来た。
「病人に看護されたいとは思わない。安心できない」と。。
病気を努力でくつがえしてきた彼女だが、周りからは看護されたくない人だと思われるのだと、深く傷ついた。
「母親の言葉は、今でも忘れられない記憶です」と当時を思い出し、悲しい目をした。
そこで彼女が目指したのが、もう一つ興味があった美容師の道。
東京の山野美容専門学校へ進学した。
無事学校を卒業し美容院に就職した彼女だったが、ここでまた母親の言葉が彼女の人生を変える事になる。
「あなたじゃなくても美容師はいる。帰って来なさい」
どうやら北海道で母親の商売が上手くいっていないようだった。
帰郷をキッパリと断った彼女に、母親は「お金を送ってほしい」と言ったという。
母親の言うことが正しいと思っていた彼女は、母親に仕送りをする為、がむしゃらに働いた。
ところが、せっかく大好きな美容業界に入ったのに、どんどんみすぼらしくなっていく自分。
「これではダメだ!もっと稼がなければ」と転職を決めた。
次に彼女が選んだ道は、子供の頃から好きだったファッションの世界。アパレルの販売員としてリスタートした。
渋谷109で、当時、最も人気があったストリートファッションブランドでも働き、営業成績は上位。
マネキンに着せる彼女の組み合わせが全国のショップに伝えられ、すべてのマネキンに着せられたという。
幼い頃から自分で服を選び、リメイクしていたことが、未来につながったのだろう。
意味のない経験はない。


北海道へ帰る
自分らしくていい
26歳で結婚したが、子供が3歳の時、離婚。
子供を育てる為に、29歳で北海道に帰ることを決めた。
経歴に興味を持った社主に気に入られ、地方新聞の事務職として採用された。
これまでと全く違う世界で、お茶のいれ方から社会・経済までを知ることになり、自分がいかに狭い世界しか見ていなかったことに気付いた。
こうして彼女は、その場所その場所で確実に自分の力に変え、成長を遂げてきた。
そんな中、叔父叔母は変わらず彼女を心配してくれた。
「恩返しがしたい」と、歳を重ねた二人の為に介護初任者研修を受講。
2か月研修では、基本的な知識から人の尊厳や人生を大切にすることを学んだ。
息子が小学校5年の時、息子に発達障害があることを知る。
幸いにも理解ある水泳コーチに恵まれ、彼は生き生きと育っていった。
その後、34歳の時、息子を通じ知り合った方のご縁で知的障害者施設に勤めることになった。
そこでは、初めは目も合わせてくれない人も、声をかけ寄り添い、その方が考えているであろうことを想像し、毎日言動で伝え続けることで、心が通ったという。
その後、更に学びを深める為、特別養護老人ホームに転職。
入浴、食事、排泄などの介護をする中、時には理不尽な暴言や意地悪を受けることもあったと言う。
「辞めたいとは思わなかったのですか?」と問う私に、彼女はにっこり笑って、こう答えた。
「感情をありのままに出す皆さんが面白い!羨ましい!私はそう思ったんです」と。
なるほど。
これまでの人生で、彼女は自分の気持ちよりも相手の気持ちを先に読み取り生きてきた。
だからこそ、自分とはまったく逆で、直球で素の感情をあらわにしてぶつかって来るホームのみんなが面白く、そして羨ましく思えたのだろう。
37歳で介護福祉士の免許を取得。
そこは気取らず自分らしくいれる場所であり「みんなといる時間が楽しくて、ここでずっと働きたかった」と彼女は言う。
しかし一方、身体は悲鳴をあげていた。
息子さんが中学生に上がると同時に退所し、再び東京へ。
退所の時、ホームのみんなからもらったという、感謝と激励メッセージ付きの写真が貼られた色紙を私に見せてくれた。
「これがあるから今も頑張っていけるんです!」。
彼女はこの職場で、自分らしく生きていいことを知ったようだった。